マルタとマリア (3)  (ヨハネ12章3) 

 信仰とは『イエスを神と信じ、その教えにしたがうこと』です。

マルタの信仰の言葉に心動かされたイエスがラザロをよみがえらせたこと、 イエスを一人の『預言者』と思っていたマリアが、ラザロ復活の奇跡を目にして、イエスが『神の子キリスト自身である』とわかってきます。

 ではマリアはイエスに対して信仰をどのような形で表わすのでしょうか。単にイエスの話に聞き入るというのは信仰の形でありません。マリアの場合それがヨハネ書12章のはじめに出てきます。

 ラザロの復活(11章)のあと、イエスたちは再びベタニアに来て、マルタ、マリアそして復活したラザロたちと食事をするのですが(12章)、その場面でマリアのとった行動にマリアの信仰の形が読みとれます。ほんの短い3〜4行です。そこにマリアがイエスを神の子キリストとして信じ崇拝している様子が描かれています。

 『その時、マリアは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足に塗り、 自分の髪の毛でそれをふいた。
 すると、香油の香りが家にいっぱいになった。』 (ヨハネ12章3)



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 ここ(12章3節)についていろいろ解釈を聞きますが、
 ・イエスの足に最高級品の香油をつける行為。
 香油は塗り薬で「ナルドの香油」は一瓶何十万円もします。
 ・若い女性が自分の髪の毛で足の油を拭ったという行為
 ・この一節で読者には、王候貴族に対する以上の最高のもてなしと理解できます。

 つまりマリアはこういう形で、イエスに対して「神の子」に対する信仰を表わしているのです。

 マルタとマリアの話、こうして読むと、イエスに会って信仰を新たにする二人の女性。しかも 二人はイエスにそれぞれ異なる形で信仰を抱いていく物語と読むことができます。
 奥の深い話です。私たち一般信者にとって教えられるところがありそうです。



 参考:ヨハネによる福音書 12章3
    小嶋潤「聖書小事典」社会思想社 p242-244

 → マルタとマリア (1) (2) (3)