詩篇(42・1-4)にあることばで、典礼聖歌(144)にも
あり、ミサの中でよく歌われる歌です、
「谷川の水を求めて、あえぎさまよう鹿のように
神よわたしはあなたをしたう。
わたしが行って、み前に至り
み顔をあおげる日はいつか
わたしは日夜神を問われて、
明け暮れ涙を食物とする」
この歌が他の歌と大きくちがうところは「主の近
くに行けないこと」を悲しみ、主を拝領できるのはい
つになるのだろうか、と嘆く歌だからです。
後半の4行は、故郷を遠く離れ、異教徒たちの間で
自分の神を公然と拝むことができないつらさ、「お前
たちの神はどこにいるのだ」と無神経に問うあざけ
りの声。故郷から遠く離されて、帰ることが許されな
い、そんなありさまが見えてきます。
この歌の背景にはバビロン捕囚の歴史があります。
バビロン捕囚とは紀元前597年、新バビロニアの王ネ
ブカドネザル2世により、ユダ王国のイスラエル人
がバビロニア地方へ捕虜として連行され強制労働さ
せられた事件を指します。
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捕囚は2次、3次と行われ、首都エルサレムは陥落、
そしてイスラエル人の大半がバビロニアに連れて
行かれ強制労働させられたのです。
その頃、イスラエル王国は南北に分裂していて、
バビロニアはイスラエルそしてユダの国を征服し
ます。連れ去られた人々がユダの国の人が多かっ
ことから、彼らは「ユダヤ人」とよばれるようにな
ったのです。「ユダヤ人」という名前は実はこの時
から始まったのです。
参考:21世紀研究会編「地名の世界地図」(文春新書)
そして彼らが故国に帰ることを許されたのは紀
元前537年、すでに60年の歳月が過ぎていて、故郷
に帰ったのは1世代2世代後の子供や孫たちでし
た。最初にエルサレムに帰還したのは4万人以上であっ
たと伝えられています。
そういう歴史を知りこの歌を口にする時、たっ
た数行のことばなのですが、深い嘆きがひしひし
と伝わってきます。
出典:『ウィキペディア(Wikipedia)バビロン捕囚』
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