こんなエピソードがあります。
18世紀後半のパリ。とある食堂が
「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわ
たしのもとに来なさい。休ませてあげよう」
という聖書の句をもじった看板を出して大は
やりしました。聖書の言葉や考え方を理解し
ている人々の共感を得たのです。
やがて、飲み物と料理を出す店は、この休息
(レストレー)のフランス語が変化してレスト
ランと呼ばれるようになったといわれています。
「天使のひきだし――美術館に住む天使たち」
レストランになぜ「休む(レスト)」
という言葉が入っているか、そういうわけがあ
るのです。ですからいわゆる「食堂」(食事をす
るところ)という言葉と異なります。
実はここでお話する聖書の言葉としてのレスト
ランにはもうすこし深い意味があります。
伊那教会の墓地の
共同慰霊碑
ここから教会が見えます
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「私のもとに来なさい。
あなた方を休ませてあげよう」(マタイ 11・28〜30)
rest (レスト) という言葉は「休憩」ではなく
「永眠」という意味があります。
この言葉は、主が「休ませてあげよう」と仰っ
ている、というよりは
「主が天の国で、食事にあずかるように私たち
に食卓を用意してくださっていて、私たちを
招いておられる」
と理解すると言葉を深く理解できると思います。
ご存じでしょうか
山谷のホスピス(きぼうの家)は、中谷神父
さまはじめ私たちになじみがありますが、その
ホスピスの共同墓地が伊那の西春近にあります。
身寄りがなく入所されていた方が亡くなって
その遺骨をそこに埋葬しに来られたスタッフの
方の手記があります。
「あの方は生涯を終えられて、今頃は(先に逝
った)友人たちといっしょに、宴会をやってい
るのでしょうね」
という言葉がそこに出てきます。
これはクリスチャンの言葉ですね。
「主の食卓に招かれて」という言葉を知っている
私たちにとっては、よくわかると思います。
悲しみも、苦しみもないところへ、人は逝って
主の食卓につき、皆とともに食事をする。
そんな光景が見えてきます。
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