隠れキリシタン 隠れキリシタンというと長崎を思いうかべますが、長野県の伊那の 地にもキリシタンとその殉教の話や、マリア像と考えられる石仏があ ります。 1592年(文禄元年)京極高知という領主が伊那地方を治めるように なりました。飯田十万石のほか上伊那もその領地で、高遠城代には岩 崎左門をおき、その彼のすすめで高遠で洗礼を受け京極はキリシタン 大名となっています。その結果、高遠の地では信者となる者が多数い たものと思われます。 (高遠は伊那市の東に位置し、現在は伊那市に合併しています) 伊那市の南約15kmにある駒ヶ根市、その東伊那とよばれる地区の善 福寺に、この地のキリスト教信仰の存在を示すと考えられる像があり ます。 寺の裏山に三十三体の観音像が並んでいて、そのうちの一体が右手 に十字架を持ち、両脚の間に童子を立たせていて、その姿からキリス トを抱くマリア像の切支丹石仏とされています。 これらの観音像の建立は1804〜07年(文化元年〜四年)で、この年代 はキリシタン禁制がある程度ゆるめられていました。それでこのよう な像でもあまりとがめられずに祀ることができたのだと推測されます。 信者たちは観音様と見せかけながらマリア像を拝んでいたのでしょう。(1999.7 伊那教会広報より なお考証不十分です)